仏教の三大真理 ①2500年続く教え

あなたの信仰している宗教はなんですか?



日本では「無宗教」と答える人が多いと思います。


実はこの回答、海外では度々驚かれます。
(世界的に若い人は無宗教の人も増えてますが。)


生まれたら神社へお宮参り、結婚式はキリスト教の教会、死んだらお寺でお葬式というごちゃごちゃの宗教観を持つ人のが普通とされてる日本社会。


科学主義により宗教は過去の物となり、今やテクノロジーとお金がその役割を担っています。


さらには宗教という言葉を聞くだけでアレルギー反応を起こす人が日本にはたくさんいます。

オウム真理教の地下鉄サリン事件や創価学会の勧誘などのイメージで宗教、さらに言えば新興宗教という言葉はもはや怪しいの代名詞です。


しかし、宗教の「教え」を学ぶことと「宗教団体」に入ることは全くの別物です。


僕個人的には組織に入って宗教を信仰する必要性はないと思ってますが、(単純にしたい人がすればいいという考え方です。)

この「教えを学ぶ」ということはアインシュタインやダヴィンチ、ガンジーなど過去の偉人から学ぶことと同様に人生において有意義な事だと思います。


今日はその中でも仏教、そして仏教といっても奥が深いので仏教の3大真理について書きたいと思います。

ミャンマーやタイに合計で3年ほど住んだので、その時の寺院や遺跡の写真と共にお楽しみください。

①2500年続く教え
あらゆることを経験したブッダ
仏教の三大真理とは

アンコールワットのお土産にあったペインティング

①2500年続く教え

人は必ずいつか死にます。

しかし、


”我々は死とは無関係であるかのように生き、
生きる事とは無関係であったかのように死を迎える。“

「アルケミスト」を書いた小説家パウロ・コエーリョの遺したこの言葉の通り、死を直視し、向き合う人は少ないです、実際にその人自体が死に直面するまでは。

仏教を開いた仏陀は、四苦八苦により「人生は苦である」という事実と向き合いました。

1.生苦(しょうく)= 生まれることの苦しみ

2.老苦(ろうく)= 老いていく苦しみ

3.病苦(びょうく)= 病気になる苦しみ

4.死苦(しく)= 死ぬ苦しみ

5.愛別離苦(あいべつりく)= 愛する人やものと別れる苦しみ

6.怨憎会苦(おんぞうえく)= 嫌いな人やものと出会わなければいけない苦しみ

7.求不得苦(ぐふとっく)= 欲しいものが手に入らない苦しみ

8.五陰盛苦(ごおんじょうく)= 肉体持つがゆえの苦しみ

五陰とは色・受・想・行・識

そしてその原因や対処法などを考えることで最終的に悟りの境地へ辿り着きました。

ミャンマーにある巨大な涅槃像


そして悟りを得た後に残された教えは2500年経った今でも語り継がれています。


ちなみにキリストは約2000年前、イスラムは約1400年前です。


今書かれている書籍のどれだけのものが100年後残ってると思いますか?


引き継がれている長さとは、その教えの偉大さは表す一つの物差しだと僕は思います。


なぜなら歴史というのは=時間の蓄積なので、何人たりとも後追いで勝ることができないからです。


時代が変わっても使われ続けている四字熟語ことわざ本質を捉えているからこそ皆が使っているんだと思います。


ちなみに今売れてる自己啓発本哲学関連の本も、間接的もしくは考えのベース自体に仏教思想が取り入れられていることが多いです。


そのぐらい仏教は生死や精神に関して突き詰められているのです。

仏教三大聖地・ばガンの夕日


人生に於いて遅かれ早かれ死に直面し、「死」に対して向き合わなければなりません。


そのときのために、とりあえず2500年前に生きてた人が辿り着いた一つの答えに耳を傾けることは無駄ではないんじゃないかな、というのが僕の考えで、仏教に興味を持ったきっかけでもあります。


信仰心や団体に入るなんてことは、色々知った後に一人一人が自分で考えて行動したら良いと思いますので、とりあえず今日は触りだけでも聞いてもらえればと思います。笑


仏教は他の宗教と違い、


「いずれ救世主が現れて人類を苦しみから救ってくれる」
「信じれば死後に地獄じゃなく天国に行ける」


みたいば人間ありきのチート的な救いは信仰の先にありません。

仏陀の死後、宗教団体が信者をかき集めるためにそのような売り文句を語られることはありますが…

むしろ仏教の本質とはありのままをありのままに捉えよ。


というよう逃れられない事実(=宇宙の真理)をただひたすら教えてくれる感じです。


そしてその真理を知ることは、精神面だけでなく現実を生きる上でも役に立つこと多くあります。(少なくとも僕の場合はですが、、、)


個人的にはキリスト教について調べるとすごく人間中心の考えだなと思います。


同じ地球に住んでいる人間と動物にガッツリ線引きして人間こそが高尚であるとしてますし、奴隷制度が撤廃されるまで、白人は人間の黒人でさえも人間以下の奴隷として扱った歴史もありますので。

(これは僕個人の考えで、キリスト教を信仰している人にも素晴らしい人がたくさんいるのを知っています。あくまでどういった視点や目線で捉えるのかという好みの問題かなと思います。また宗教の種類に関わらず、信仰心や家族愛は美しい思いますし、キリスト教も「教え」と「組織」で分離して考えるとまた色々違った見解になるかなと思います。)

映画「Into the wild」にも出てくるキリスト教信者の方が作ったSalvation Mountain


そういった意味でも、カースト制度という揺るがない階級制度を持つヒンドゥー教社会に生まれながらも、その階級どころか人間や動物さえも引っくるめて等しく価値があると考えた仏陀はすごく平等だなと個人的には思います。


仏教の教えは人間に説いているようで実は動物や植物、果ては宇宙まで網羅する真理のような内容でであり、事実、ブッダが悟った後初めて教えを説いた相手は5匹の鹿でした。笑


無駄な殺生をしないことや欲に囚われず足るを知りなさいという教えは地球にも優しい思想だなと感じます。

ミャンマーのバガンにある遺跡

ざっと仏教の長さと僕の認識について書かせていただきました。

別に宗教勧誘をしてる訳ではないので、ご興味あれば次の記事も読んでいただけたら嬉しいです。

それでは、また。


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