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無知の知


哲学の父と呼ばれるソクラテスの言った真理を探究する哲学の基本となる概念です。



「自分は知らない」ということを知っている。という意味です。

無知の知 from ソクラテス

相手の話を聞いている時、


「へぇ〜、そうなんだ!」


と相手を理解しようと耳を傾けるのか、


「またくだらないこといってるよ」
「はいはい、わかってるよ」


と話半分に聞くのとでは、相手の話している言葉は同じでも、あなたのその言葉への理解度心への浸透度が違う。



歳をとればとるほど、得てきた経験や知識が増えていく分、人生や社会を知った気になり、他人の話に耳を傾けなくなってきたり、目の前の事実をまっすぐに捉えられなくなっていく。


子供の時に感じたワクワク知る喜びを忘れていく。


すると、積み重ねた経験や知識が否定されるとあたかも自分の人生を否定されていると感じてしまったり、間違っていたという事実と向き合いたくない恐怖で知ることを拒絶してしまう。



でも30年やそこらで何を知った気になっているのだろう?



知識を得るための情報や出来事やきっかけは源泉のように日々沸いている。


でも「知った気になる」行為はその源泉を塞いでしまう。下手したらそのありかさえも見失ってしまう。


源泉を塞いでしまっては、今後対応できないことや理解できないことが多く起こってくると思う。コロナの影響により世界が大きな変化を迫られている今なら尚更。

タイ エラワンの滝


ブログを書いているうちにいつしか自分が経験を通し知ったことを書いているだけなのに


あたかも自分が全てを知った気になって書いていたり、全てをちゃんと知らないと書く資格がないと焦ったり、


何者かになろうとすることで、何者でもないということを忘れてしまう。


「何者でもない」という人や気づいたら「何者かになっていた」という人の言葉にはきっと謙虚さとリスペクトが存在していて、「何者かになろう」という人の言葉にはそれはない。


きっとそんな言葉には誰も好んで耳を傾けないだろう。


一つの結論を書くために必要な情報を集める時、その結論に至るための情報だけを探していると他の事実を遮断してしまう。


答えは無数にあり一つではない。


そんな当たり前のことも一つのことに集中していると忘れてしまう。


知らないことを知っている


だからこそもっと知れる


もっと知りたいというワクワクした開かれた心が


きっと僕をもっと遠くへ連れて行ってくれる気がしている。

アインシュタイン


固い頭をほぐして、肩の力を抜いて、深く深呼吸。


心を閉じずに大きく開いて、真新しい今を気持ち新たに。


最後に僕の好きなOSHOの言葉を貼っておきます。ワクワクする音楽も傍に。

OSHO 知性


ブログを書く行為に夢中になり、ちょっとした落とし穴にハマってました。笑



また気楽にやっていきます^^

saib. – West Lake

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