ブッダガヤでいい感じの客引きと仲良くなったところで、ブッダガヤの旅行記を綴ってゆきます。(前回の記事参照)
ダラダラ書くのでダラダラ読んでくれたら嬉しいです。笑
その時に撮った写真と合わせて書いていくので合わせてお楽しみください^^

①コルカタから寝台列車でブッダガヤへ。
初めてのインドひとり旅。寝台列車に乗りブッダガヤへ向かいます。
電車のチケット購入から戸惑い、時刻通りにこない電車にはさらに戸惑いました。笑
インドは貧富の差が激しい国。寝てる間に荷物を取られないか心配になりながら電車の上のベッドで就寝したことを今でも覚えています。

無事ブッダガヤについたということで、早速朝から世界遺産・マホボディーテンプルへ。
前回の記事での書きましたがこのブッダガヤは
ブッダが悟りを開いた場所
= 仏教は始まった場所
です!
現状インドは仏教徒よりヒンドゥー教のが圧倒的に多いですが、たくさんの僧侶や観光客がいました。


参拝者が持っているのは朝咲いていた蓮の花。
蓮の花は泥沼で成長し美しく咲き誇ることから仏教では神聖な花とされています。
よくブッダも蓮の花の上で坐禅を組んでますよね。

この寺院のインパクトはなんといっても宇宙的デザイン!(勝手な印象ですが。笑)



改めてすごいデザインだな。笑
この寺院の周りにはたくさんの僧侶が瞑想してました。



最近シリコンバレーやビジネスマンにも流行り始めている
「マインドフルネス」
ですが、この大元となっているのがブッダが行なっていた
ありのままを観るという意味の
ヴィパッサナー瞑想
です。
瞑想についてはまた別の記事で掘り下げていこうと思います^^
さあ、朝の参拝も終わったので一度宿に行きますか!
②友人と合流
ということで寺院近くのタクシーを探してるときに前回の記事で紹介した客引きの遭遇します。

始めはホテルまでのバイクタクシーをお願いしたのですが、事前にプリントアウトしたホテルの住所の場所にはホテルの場所がなく立ち往生、、、
彼らは周りの人に場所を聞いてくれたりとなんとかしてホテルを発見。

ちなみにホテルの前の道はこんな感じでした。
友人とブッダガヤで合流する予定だったので、Wi-Fiを繋げ連絡を取ろうと思ったらホテルのWi-Fiは繋がらず、、、
さすがインド。笑
またまた困っていると客引きが
「Wi-Fi使える朝食食べれるレストラン連れてこうか?」
と提案してくれました。
多少高くても背に腹は変えられんということでレストランにいくとちょうどよい朝食。
無事ご飯を食べながら友人と合流できました!

彼はインドで合流する前にアメリカのヨセミテのトレイルを1人で歩いたりとだいぶ旅人感が増していて、
合流したらすっかり半分インド人みたいになってました。笑
一緒にご飯を食べていると客引きたちが
「お前ら今日の予定は? 決まってないなら色々案内するぜ!」
と言われ、2人で相談。
友人は、
「ん〜、なんか怪しいし、騙されたら嫌なのでやめましょう。」
といったリアクション。
しかし僕は彼らに朝から2度も助けてもらってるので、
「いや、多分こいつらはいいやつで大丈夫なのでついて行きましょう!僕らノープランですし!笑」
とゴリ押し。笑
結局一度ホテルに荷物と騙されてもいい程度のお金を持っていこうということで話が落ち着きました。
ということで、いざブッダガヤの旅出発!

行き先は彼らのおすすめのブッダ・マウンテン!
と言われるがままに連れてってもらいました。


インドの都市は人が多くカオスで汚いですが、ブッダガヤは大田舎!
気持ちいい道のりの先にたどり着いた先はこんな山でした。


日本じゃ見れない類の猿もすぐ近くに。笑
この山の名は「前正覚山」。
ここはブッダが悟りを開く前、
6年間苦行を行なっていたという山でした。
完全なるリアル聖地巡礼です。笑
この山の奥に進むとこんな像があります。

この像は日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが
釈迦断食像
と呼ばれる長い時は2ヶ月も続けていたと言われるブッダが断食をしていたときの像です。
ガリガリ…
苦行の果てにブッダは
『極端な苦行は精神や肉体を駄目にして真理から遠ざかる。中道が一番だ。』
という結論にいたり、この山を後にします。
ちなみに今でもこの山には小さな洞窟みたいなものがあって、その中で瞑想できます。



いや〜リアル聖地巡礼だけあって貴重な体験でした。
ちなみに中道に気づき山を後にした仏陀ですが、衰弱していたため近くにあるイランジャナ川で倒れてしまいます。
そこを当然通りかかったスジャータという村の娘が乳粥を作り食べさせることで復活するという話も仏教では有名でよくアジアの寺院ではこの風景の絵が壁にあります。

ここで体力を回復したブッダは近くの菩提樹の下で坐禅を組み瞑想に入りました。
瞑想中に悪魔の誘惑などがありましたが、全ては心の中で作り出されているものだと気づき、瞑想8日目についに悟りを開きます。
そしてここブッダガヤが仏教の聖地となりました。
チャンチャン♪
というのがブッダの悟りに関する物語です。
ブッダが悟ったが35才なので僕にもまだ5年ほどの有余はあります。笑
さあ聖地で瞑想後はどこに連れてってくれるのでしょうか。
一行はまたバイクで移動を始めます。

道中、牛のうんこまみれの路上で遊ぶ子供達も中々衝撃でした。笑
しかし移動中、突然の生憎の雨。。。

でも僕らは別に急いでいないので、暑さと埃がひどいインドではもはや恵の雨。
近くの小屋で雨宿りすることにしました。


その小屋では何人ものインド人が雨宿りをしていました。
そこで僕は一方的な運命的な出会いをします。
僕の人生で出会った中でもっとも美しい目を持つ兄弟に会ったのです。



インド人はもちろん輪郭もありますが、目が透き通っていて非常に美しいです。
仏教の聖地だからというフィルターがかかってるかもしれませんが、インド人は日本人より世界や現実を真っ直ぐな眼差しで見ている気がします。
日本では汚いものやことは皆隠します。
街にはゴミは全然落ちていないですし、毎日食べているお肉を実際に捌いている場面に遭遇することもありません。

それは日本のすごくいいところではありますが、時にそれはまるで世界はきれいなことしかないような錯覚を子供に植えつけます。
若干僕もそうでした、、、笑
しかし作られた綺麗な現実の中で育った子供は、大人になった時の汚い現実に耐えられず、それが現代の日本の問題であるうつ病や自殺にも繋がっている気がします。
インドはいい意味でそういった取り繕いがない分、世界はよりありのままでありシンプルです。
もちろん日本よりしんどいこともかなり多いと思いますが。
他にも美しいインド人の表情を貼らせていただきます。



雨が止んだ後はバイクに乗り、こんな大きな菩提樹に連れてってもらいました。



そしてここでもこんな賢者のようなおじいちゃんに遭遇。

この後は村に戻り色々とお土産やさんに連れて行ってもらい、仏像やブレスレットを買うのに手伝ってもらいました。
その後はレストランで友人と食事を楽しみ、次の日のバラナシに備え就寝といった感じです。
③レストランの会話
最後にレストランで友人と交わした会話をご紹介をして終わりにしたいと思います。
冒頭で友人は騙されないように客引きについていくのはやめようと言いました。
しかしブッダガヤでの旅は彼ら無しでは完結しない楽しさに満ちた旅でした。
そんな1日を終えて彼はこのようなことを言いました。
今までアジアを旅する時はお金がなかったのもあるけど、騙されまい、騙されまいと客引きに話しかけられても基本シカトしてきた。
貧しい彼らの境遇を考えると自然と性悪説的に彼らの言動を捉え、自ら彼らとの関係をシャットダウンしていた。
しかし今日実際に彼らを信じて1日旅を共にしたことで今までは全く違う旅になった。
信じることはリスクではありますが、
信じることで始まることや、
疑うことで終わらせてしまうことが、
旅に限らず人間関係では多くあります。

信用できるに値するかを判断する必要はもちろんありますが、
少なくとも人を信じないスタンスを常に取ることは
あまり良い結果をもたらさない気がします。
疑うことで騙されることは防げても、
それは同時に信じた上の楽しさの可能性を諦めることになります。
自分が疑うことが連鎖し、相手からも疑われるようなこともあります。
この人は信用できるかどうか
自分で予め「信じない」というラインを引かずに、
一人一人と向かい合い直感に従い信用できるどうかを
都度相手をみて判断することがいいんじゃないかなと思います。
「国籍」「右翼・左翼」「子供」「年寄り」「女」「金持ち」「貧乏」
様々なカテゴリーのイメージがあなたの直感を鈍らせます。
「決めつけ」はよくない。
当たり前が当たり前じゃ無くなり、
常識が非常識になり得るのが旅の魅力であり、
その経験を通して自分なりの哲学を書き足していくのが
旅の醍醐味なんじゃんないかなと
個人的に思っております。
そんなところで今日は終わりにしようと思います^^
では、また^^